東海稔
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14歳の時、元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門し、1939年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は「御殿山」で、これは、出身地の北品川にある山に因んでいる。
その後幕下まで昇進するも、1944年に応召され、復員後の1945年6月場所を以って廃業した。
しかし、1950年に再度、伊勢ヶ濱部屋へ入門。同年5月、「東海」の名で幕下から力士としての経歴を再開した。
巨体と寄りを武器に順調に番付を上げ、1952年1月場所で新十両に昇進。そして、1953年3月場所にて入幕を果たした。初土俵から14年2ヶ月かかっての、悲願の新入幕であった。
以降、1957年11月場所まで計8場所幕内を勤めるも、勝ち味の遅さが祟って幕内上位への進出は果たせずに終わっている。
現役晩年は幕下3枚目まで降下し、1959年5月場所後、35歳で再廃業。
その後、東京中央郵便局に勤務していたが、1963年6月に39歳で病没した。