摂津の大坂(現在の大阪市)にて医師であった松下見朴の子として生まれる。
幼年期より古文を父から学ぶ。後にそれがきっかけで、1649年(慶安2年)に医師であった古林見宜の門人となり、医学も学んだ。上洛し医師となり、ついでに儒学や歴史学も学んだ。同時期に和漢の概念を持った多くの著書を出版し著名な遺言を残す等、後の多くの国学者に大きく影響を与えた。
その後讃岐に移住し当時高松藩主であった松平頼常に仕える等政治関係の仕事にも携わった。死去から約200年経った1897年(明治30年)には従四位を追贈された[1]。墓所は上京区大雄寺。