松井天狗堂
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1905年(明治38年)、松井和三郎が、大阪にかるた製造者として松井天狗堂を開業。遅れて、1906年(明治39年)、実兄の松井重次郎が京都に松井天狗堂を開業した。1936年(昭和11年)重次郎が64歳で死去。戦前には大連市常盤町2(連鎖街心斎橋通り)に出張所があった。
1945年(昭和20年)二代目・松井壮三郎が42歳で死去。その3年後に長男だった重夫が跡を継いだ。
1975年(昭和50年)オイルショックによって生産減滅の事態に直面した三代目・松井重夫は、油紙に型を彫り、染料をニカワと澱粉糊で練り合わせ、丸刷毛で刷り込む江戸時代そのままの手法により、表絵を手摺りで色彩する花札製作を復活させる[2](昭和25年以降、手摺りによる製作は途絶えていた)。一時期、日本で唯一の手摺り花かるたの製造元となる。また、株札などのいわゆる「地方札」、百人一首、道才かるた、ウンスンカルタの製造販売も行っていた[3]。
2009年(平成21年)職人の高齢化や後継者不在などを理由に製造中止、2010年(平成22年)8月に閉店した。その後も手摺りの手法を継承させるべく、かつてのライバル企業の大石天狗堂に技術協力していたが、2016年(平成28年)12月5日に三代目・松井重夫が85歳で死去し後継者が途絶えた[1]。
かるた専門店による店頭・ネット販売でも在庫は残っておらず、極めて入手困難な状態のため、ネットオークションで高値で取り引きされている[1]。
