佐渡国雑太郡吉岡村(現新潟県佐渡市吉岡)で農業・若林源右衛門の二男として生まれ、同村・先代松井源内の養子となる[3]。その後、養父の死去に伴い源内を襲名した[3]。
1873年、義兄・高野吾吉に伴われ江差に移り、同地の呉服商・本郷家に奉公し、各地に行商した[3]。1884年、寿都に移り同地で義兄・高野吾吉が経営していた呉服店を帰郷する高野から譲り受け、さらに海産仲買業、醸造業、回漕業、漁業などにも経営を広げた[3]。また、寿都外三郡酒造組合長、後志興農銀行 (株) 取締役、寿都銀行 (株) 取締役、寿都倉庫 (株) 社長、寿都汽船 (株) 社長などを務めた[2]。
さらに寿都町会議員、寿都町長、所得税調査委員を歴任[2]。1904年3月の第9回衆議院議員総選挙で北海道庁函館外三支庁管内から出馬し当選[2]。猶興会に属し衆議院議員を一期務めた[2]。
1913年3月、病により死去し、養子が源内を襲名した[3]。