大永元年(1521年)、大和国奈良の塗師・松屋家の三代目として生まれた。松屋家は松永久秀の一族とされ、久秀の多門城落去後に奈良へ逃れ、以後「松屋」を称し塗師を生業としたという。
家は奈良の土門(つちかど)に所在したため久政は「土門源三郎」と通称した。松屋家は名物茶器「松屋三名物」を所蔵し、当時の数寄者の羨望を集めたという。またこの時期東大寺八幡宮の神職についたとも伝わる。
久政は珠光流茶道の伝承者として知られ、千利休とも親交が深かった。天文2年3月20日(1533年4月14日)には、自らの茶会記である『松屋会記』を起筆し、以後の奈良茶道史の重要史料となっている[3]。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の北野大茶会に「奈良三十六衆」の一人として参席したことが記録される[4]。慶長3年(1598年)、78歳で死去した。