1221年(承久3)の承久の乱に伴って但馬国高屋(現在の豊岡市)へ配流された雅成親王を追った身重の幸姫が、この地で産気づき出産した。老婆に高屋まであと何日かかるかと尋ねたところ、老婆は意地悪くまだ20日はかかると実際よりも長い日数を答えた。生きてたどり着くことができないと絶望した幸姫は円山川へ身を投げて死んでしまった。それ以来、毎年洪水が起きるようになったため、彼女の霊を鎮めるために祀ったのが祭の始まりだと伝えられる[1]。
田の虫を燃やす祈願から生じた行事が、承久の乱と物語的に結びつけられたものであるという見方もある。