松帆銅鐸
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淡路島南部、三原川河口付近北岸の松帆地区(松帆古津路・松帆慶野・松帆櫟田)に埋納されたとみられる銅鐸群である。2015年(平成27年)に松帆地区から採取・搬出された先の土砂山の中から7個が発見されている(正確な土砂採取位置は不明)。
銅鐸7個は、菱環鈕式銅鐸1個・外縁付鈕式銅鐸6個からなる古い段階の銅鐸群であり、一部は島根県の荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡の銅鐸と同笵関係が認められる。7個のうち6個は入れ子状で出土している。銅鐸内には吊り下げて鳴らすための青銅製の棒(舌(ぜつ))を伴っており、銅鐸内面や舌にはすり減りが認められるほか、鈕や舌には紐状繊維も残存する[2]。また鉛の成分分析では、朝鮮半島系青銅器と共通する産地であることが判明している[2]。
埋納時期は、弥生時代前期末-中期前半の紀元前4世紀半ば-紀元前2世紀半ば頃と推定される(5号銅鐸の放射性炭素年代測定)[2]。銅鐸出土地として一般的な山中や集落ではなく、海岸沿岸部からの出土とされるが、松帆地区では古津路銅剣14本・慶野中の御堂銅鐸8個・海岸部の銅鏃などの青銅器の出土も知られており、一帯が瀬戸内海の交通の要衝地として機能した様子が示唆される[2]。「鳴らす銅鐸」としての銅鐸・舌の使用状況など数多くの事実が明らかとなり、銅鐸を巡る謎を解明するうえでも重要視される資料群になる。
遺跡歴
一覧
| 画像 | 銅鐸 | 舌 | 備考 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 銅鐸 | 舌 | 型式 | 文様 | 高さ | 最大幅 | 重量 | 長さ | 最大幅 | 重量 | ||
| 1号銅鐸 | 菱環鈕2式 | 横帯文 | 26.7 cm | 15.5 cm | 1963.4 g | 13.0 cm | 1.8 cm | 126.0 g | 同笵銅鐸未確認 | ||
| 2号銅鐸 | 外縁付鈕1式 | 4区袈裟襷文 | 22.5 cm | 12.6 cm | 1074.8 g | 8.13 cm | 1.15 cm | 44.1 g | 1号銅鐸内に入れ子 松帆4号銅鐸・慶野中の御堂銅鐸と同笵(3番目か) 鹿文 | ||
| 3号銅鐸 | 外縁付鈕1式 | 4区袈裟襷文 | 31.5 cm | 18.7 cm | 2527.4 g | 12.85 cm | 1.95 cm | 135.6 g | 島根県加茂岩倉27号銅鐸と同笵(前後不明) 鈕に紐状繊維残存 「王」字状文 舌頭部に紐状繊維残存 | ||
| 4号銅鐸 | 外縁付鈕1式 | 4区袈裟襷文 | 22.6 cm | 13.4 cm | 1089.2 g | 8.8 cm | 1.45 cm | 46.5 g | 3号銅鐸内に入れ子 松帆4号銅鐸・慶野中の御堂銅鐸と同笵(1番目か) 鹿文 舌頭部に組紐残存 舌は舌7と同笵 | ||
| 5号銅鐸 | 外縁付鈕1式 | 4区袈裟襷文 | (23.3 cm) | - | (743.5 g) | 12.05 cm | 1.85 cm | 79.7 g | 半壊、銅鐸と舌の関係は推定 島根県荒神谷6号銅鐸と同笵(先か) | ||
| 6号銅鐸 | 外縁付鈕1式 | 4区袈裟襷文 | 31.15 cm | 18.5 cm | 2565.8 g | 14.0 cm | 1.5 cm | 130.6 g | 同笵銅鐸未確認 舌頭部に紐状繊維残存 | ||
| 7号銅鐸 | 外縁付鈕1式 | 4区袈裟襷文 | 22.05 cm | 13.1 cm | 1206.3 g | 8.0 cm | 1.35 cm | 35.8 g | 6号銅鐸内に入れ子 同笵銅鐸未確認 舌は舌4と同笵 舌頭部に紐状繊維残存 | ||
参考画像
文化財
兵庫県指定文化財
- 重要有形文化財
- 松帆銅鐸 7口(考古資料) - 南あわじ市滝川記念美術館玉青館保管。2023年(令和5年)3月17日指定[3]。
関連施設
- 南あわじ市滝川記念美術館 玉青館(南あわじ市松帆西路) - 松帆銅鐸を展示。