松平定章 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代中期生誕 元禄13年2月22日(1700年4月11日)死没 延享4年8月3日(1747年9月7日)改名 長島辰之丞・源之助(幼名)→定章 凡例松平 定章時代 江戸時代中期生誕 元禄13年2月22日(1700年4月11日)死没 延享4年8月3日(1747年9月7日)改名 長島辰之丞・源之助(幼名)→定章別名 監物(通称)墓所 東京都港区三田の済海寺官位 従五位下、備中守幕府 江戸幕府藩 松山新田藩主氏族 久松松平氏父母 父:松平定直、母:村上氏兄弟 定仲、鍋之助、定英、定章妻 側室:放光院(松本氏)子 定静、定紀、富(水野忠寛正室→酒井忠雄正室)、好(松平定秀婚約者)、豊(溝口直寛正室)テンプレートを表示 松平 定章(まつだいら さだあきら)は、伊予松山新田藩の初代藩主。伊予松山藩第4代藩主松平定直の四男。 父から寵愛を受けていたため、享保5年(1720年)に父が死去して兄の定英が第5代藩主になると、父の遺言により新田1万石を分与されて松山新田藩を立藩した。 享保12年(1727年)6月に駿府加番に任じられる。享保の大飢饉では窮民の救済を行なった。延享4年(1747年)8月3日に死去した。享年48。跡を長男の定静が継いだ。 表話編歴久松松平氏松山新田藩初代藩主 (1720年 - 1747年) 松平定章1720-1747 松平定静1747-1765 伊予松山藩に吸収され、廃藩 Related Articles