松平長恒
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生涯
正徳6年(1716年)3月2日、松平信通の次男として誕生した。
享保7年(1722年)、父の死去により家督を継いだが、生来から病弱で藩政を執れなかったため、享保17年12月12日(1733年)に傍流の伊賀守家より信将を養子に迎え、家督を譲って隠居した。長恒は将軍への御目見を果たしていなかったが、親族の合意として信将への相続願いが出され、藤井松平家は由緒ある徳川(松平)家の庶流一族であることから、特例としてこの請願が認められる形となったとされる[1]。
正室を迎えてもいないほどに、上述のように病弱であったとされるにもかかわらず、長恒は信将より18年も長生きし、安永8年(1779年)3月20日に死去した。享年64。
ただし異説として、長恒は享保13年(1728年)10月4日に13歳で病死していた、とする説がある。その後は家臣団によって長恒の影武者として家臣の子が立てられ、末期養子出願の基準となる17歳までしのいだ後に、藤井松平家の血縁の縁者への家督相続が進められた、とする説である[2]。