- 松本市の北側、四賀地区南部、福寿草で有名な地域に位置している。
- 通学区は四賀地区錦部、および四賀地区南部。かつて錦部村が四賀村に合併するときに、そのまま引き継いだ。
2008年時点の児童数は90名[1][2]。
玉成学校跡
学校の前身は1872年(明治5年)4月に開校した七嵐私塾(七嵐、明治6年に煕文学校と改名)、同年7月に開校した玉成学校(刈谷原町)、1873年(明治6年)4月に開校した誠之学校(保福寺町)から130年余りの歴史を持つ[3]。2003年(平成15年)5月現在の生徒数は121名[4]。
2008年7月閉校記念事業準備委員会が発足した。