松本忠雄 (政治家)
日本のジャーナリスト
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経歴
長野県上水内郡瀬戸川村(現在の小川村)に、松本八重作の長男として生まれる。1909年(明治42年)、東亜同文書院を卒業[1]。卒業後はやまと新聞の記者となるが、加藤高明憲政会総裁に見出され、その秘書となった[1]。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回連続当選を果たした。加藤高明内閣では内閣総理大臣秘書官を務め、第1次若槻内閣では東京市助役を務めた[1]。さらに齋藤内閣・岡田内閣で外務参与官を務め、第1次近衛内閣では外務政務次官を務めた。太平洋戦争中の1944年にニッポンタイムズ会長に就任し、戦後の1946年まで在職した[3]。1947年、公職追放[3]。
外務参与官・外務政務次官在任中に重要文書を筆写しており、現在、外務省外交史料館に「松本記録[4]」として所蔵されている。
親族
著書
- 『日支新交渉に依る帝国の利権』清水書店、1915年。
- 『対支国論の囘顧』松本忠雄、1920年。
- 『内田伯ノ外交』松本忠雄、1923年。
- 『支那事変と国民の覚悟(松本忠雄 述)』塩田熊男、1936年。
- 『講演と文章 支那問題(松本忠雄 述)』斯文書院、1936年。
- 『講演と文章 満洲問題(松本忠雄 述)』斯文書院、1936年。
- 『講演と文章 外交問題(松本忠雄 述)』斯文書院、1936年。
- 『講演と文章 内政問題(松本忠雄 述)』斯文書院、1936年。
- 『宿命に立つ日支関係』第百書房、1936年。
- 『中国共産党の活躍 : 支那赤化の実勢力』第百書房、1936年。
- 『日本と蒋介石政権行悩みの南京交渉』今日の問題社、1936年。
- 『事変によつて何処まで支那の内情は変つたか』大文字書院、1937年。
- 『支那事変と国際情勢』中野館書房、1938年。
- 『近世日本外交史研究』博報堂出版部、1942年。