栃木商業高等学校では甲子園には出場できなかった。高校同期に宮下陽吾投手(国鉄)がいる。卒業後は立教大学へ進学。エースとして活躍するが、東京六大学野球リーグでは当時法大、慶大が二強として争い、優勝には届かなかった。リーグ通算43試合登板、20勝12敗、防御率1.27、99奪三振。大学同期に土井正三、山口富士雄(中退)、森本潔(中退)がいる。
大学を中退し1964年に阪急に入団。大型右腕投手として期待され、1965年には6試合に先発するが結果を残せず、その後は中継ぎとして起用される。1970年限りで現役引退。オーバースローからスライダー、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。