富山県砺波郡城端町出身。1909年上京し11歳で宝生新の門下となる。1910年「岩船」のワキヅレで初舞台。同年「吉野天人」で初ワキ。17歳で秘曲「張良」の初演を許されるなど若くして才能を開花させ、ワキ方の第一人者として活躍。1933年霞会を発足し主宰。1957年より日本能楽会会員。1964年能楽使節団の一員としてヨーロッパに派遣される。1966年ワキ方で初の人間国宝に認定。
線が太く、堅実な芸風を基盤としながら、さまざまなシテに対処できる幅の広さも備えていた。
1953年芸術祭奨励賞[1]。1969年勲四等旭日小綬章。