天保13年(1842年)、鹿児島藩士の家に生まれる。明治元年(1868年)4月、一等士官格として富士山艦に乗組み、のち島原の温泉丸(雲泉または雲仙艦とも)に移って函館方面へ出張し、箱館戦争に従軍した。
明治4年(1871年)5月に海軍中尉、同年9月に大尉へ進級。明治7年(1874年)に正七位。明治8年(1875年)には東艦副長となり、翌9年(1876年)少佐、明治11年(1878年)に従六位に叙された。明治12年(1879年)には浅間艦長に転じ、ついで春日艦長を歴任した。
明治16年(1883年)8月16日、筑波艦長に補され、同年11月頃に中佐へ進級、12月25日に正六位。明治18年(1885年)には比叡艦長となり、明治19年(1886年)7月13日、大佐相当に進み、翌14日高千穂艦長に転じた。明治20年(1887年)10月25日には常備小艦隊浪速艦長を務めている。
明治23年(1890年)、佐世保鎮守府兵器部長に補され、翌24年(1891年)2月16日、佐世保鎮守府参謀長に転じて正五位勲三等に叙された。明治26年(1893年)、山本権兵衛による海軍整理の影響を受け、予備役に編入された。
しかし日清戦争では佐世保海兵団長および海軍造兵廠長を歴任し、戦後の明治28年(1895年)7月25日、海軍少将に進級。同日、招集解除となり予備に復し、旭日中綬章を受章した。
明治29年(1896年)5月1日(または4月30日)死去。享年55。没後、特旨をもって従四位に叙された。