松田敏足 江戸時代後期の国学者、教育者 From Wikipedia, the free encyclopedia 松田 敏足(まつだ としたる、天保9年(1838年) - 大正2年(1913年)6月19日)は江戸時代後期の国学者、教育者。明治時代の神職[1]。 経歴 福岡藩藩士として筑前国に生まれる[1]。藩校修猷館に国典を学び[2]、京都で平田延胤に面談。帰郷して修猷館の国学教授となる[1]。 廃藩後、宗像神社(のちに宗像大社)神官を経て、出雲大社権禰宜となり、再び宗像神社権禰宜に戻る[1]。 明治12年(1879年)博多新聞、明治14年(1881年)大阪で大東日報を起し、明治16年(1883年)帰郷して子弟の教育に当った。門人三千人といわれる[1]。 出典 [1]『国書人名辞典 第4巻』(岩波書店、1998年)394頁 [2]『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)63頁 Related Articles