松秀寺 (刈谷市)

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所在地 愛知県刈谷市銀座2丁目100
位置 北緯34度59分13.8秒 東経136度59分34.8秒 / 北緯34.987167度 東経136.993000度 / 34.987167; 136.993000座標: 北緯34度59分13.8秒 東経136度59分34.8秒 / 北緯34.987167度 東経136.993000度 / 34.987167; 136.993000
山号 円通山
宗派 曹洞宗
松秀寺
所在地 愛知県刈谷市銀座2丁目100
位置 北緯34度59分13.8秒 東経136度59分34.8秒 / 北緯34.987167度 東経136.993000度 / 34.987167; 136.993000座標: 北緯34度59分13.8秒 東経136度59分34.8秒 / 北緯34.987167度 東経136.993000度 / 34.987167; 136.993000
山号 円通山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 寛正4年(1463年
法人番号 8180305004670 ウィキデータを編集
松秀寺の位置(愛知県内)
松秀寺
松秀寺
松秀寺 (愛知県)
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松秀寺(しょうしゅうじ)は、愛知県刈谷市銀座2丁目100にある曹洞宗寺院である。山号は円通山[1]。本尊は釈迦牟尼仏[1]。境内には万燈祭を例祭とする秋葉神社がある。

寛正4年(1463年)に十王山松秀寺と号した[1]

宝暦7年(1757年)4月24日、遠江国秋葉山秋葉寺から秋葉三尺坊を勧請して秋葉堂に合わせ祀った[2]。明和年間(1764年-1772年)、幡豆郡長圓寺13世の通方圓達和尚が中興開山となった[2]

12世の大器禅活和尚の代、鐘楼門を改築して朝鮮式とし、さらに梵鐘を再鋳して朝鮮鐘とした[2]。朝鮮式の鐘楼門は1915年(大正4年)に10世伊藤平左衛門を棟梁として建立された[2]。梵鐘の鋳造は大阪の今村久兵衛[2]

1950年(昭和25年)、境内で「万国英霊供養塔」の除幕式が行われ、元刈谷町長・衆議院議員の大野一造が式辞を述べた[3]。題字は善光寺大僧正の恭順[3]

境内

松秀寺から道を挟んで東側、刈谷町末町53番地には刈谷町役場があったが、市制施行後の1954年(昭和29年)に東陽町に移転した[4]

  • 本堂[2]
  • 観音堂 - 元治元年(1864年)竣工[2]。太田忠右衛門長正によって寄進された十一面観世音菩薩立像があり、この立像は刈谷市指定文化財となっている[1]
  • 十王堂[2]
  • 鐘楼門 - 1915年(大正4年)竣工[2]。朝鮮式の鐘楼門[2]
  • 墓地 - 天誅組に所属した幕末の志士の宍戸弥四郎の墓がある[2][1]

秋葉神社

秋葉神社

松秀寺の境内には秋葉神社がある。

宝暦6年(1756年)6月18日には遠江国秋葉山本宮秋葉神社(現在の静岡県浜松市天竜区春野町)から、秋葉三尺坊大権現を歓請した[5]。宝暦9年(1759年)には拝殿を建立する発議がなされ、宝暦12年(1762年)に拝殿が完成した[5]。当初の秋葉堂では幟・堤燈・神楽を奉納する祭礼が行われていたが、安永7年(1778年)6月からは「万燈」が登場するようになり、これが今日の万燈祭の起源である[5][6]

明治時代神仏分離の過程で、秋葉社は松秀寺から独立して秋葉神社となり、新たに迦具土神(かぐつちのかみ)を祀った[6]。秋葉神社は刈谷市司町に鎮座する市原稲荷神社による7社の兼務社のひとつである[7]。1958年(昭和33年)3月25日には万燈祭が刈谷市の無形民俗文化財に指定され、2000年(平成12年)には万燈祭が愛知県の無形民俗文化財に指定された[5]。社格は旧無格社である[7]

現地情報

脚注

外部リンク

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