第5代藩主・板倉勝喜の4男として誕生。
文化元年(1804年)12月8日に先代藩主で兄の勝氐が早世したため、文化2年(1805年)3月19日に跡を継いだ。文化8年(1811年)11月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月11日、従五位下越中守に叙任する。有能な人物で殖産興業や民政に尽力し、凶作に備えて義倉を設置した。また、藩校の誠意館を創設して藩士子弟の教育化に努めた。
板倉勝資の墓(西尾市長圓寺)
天保3年(1832年)閏11月21日、弟の勝貞に家督を譲って隠居した。弘化2年(1845年)8月に剃髪して愚山と号した。嘉永元年(1848年)8月17日、60歳で死去した。法号は督応院殿麒鳳源麟大居士。墓所は愛知県西尾市貝吹町の長圓寺。
庭瀬藩の歴代藩主の中では有能な人物で、治績も残したため、中興の英主と言われている。