板谷広長
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板谷広当の次男として生まれる。兄は住吉廣行、弟に慶珉がいる。天明5年(1785年)部屋住の身分でお目見え。寛政4年(1792年)兄・広行に随行し京阪寺社の宝物調査を行い、古画を模写する。寛政8年(1796年)剃髪し、慶意の号を桂意に改名。翌年父が亡くなると跡を継ぎ、寛政10年(1798年)新規扶持方五人扶持を付与され、翌年奥御用を仰せつかる。文化元年(1804年)菅原道真九〇〇年遠忌に際し、松平定信ら武家寄合で発願した「天満宮伝記絵」を奉納(京都・北野天満宮蔵)。文化8年(1811年)第11回朝鮮通信使来日の際には、贈朝屏風一双を担当している。文化11年(1814年)4月17日死去。享年55歳。戒名は延乗院歓誉桂意居士。
兄・廣行と共にやまと絵を積極的に描き、古典復興に努めた。作品には「住吉広長」落款が多いとされる。息子に3代目となった板谷広隆、駿河台狩野家に養子入りした狩野洞益春信がいる。