岐阜第一高では3年春夏に甲子園出場して、夏はベスト8まで進出して日本代表メンバーにも選出、1983年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。同期に穴吹祐司捕手(阪急)がいた。
同校からのプロ入りは湯口敏彦以来であり、同じく巨人への入団となった。
一軍出場のないまま、1987年限りで現役を引退。俊足を活かしてスイッチヒッターにも挑戦した[1]。
引退後の一時期は東京青山リトルシニアの監督を務めていた。
2020年6月27日に巨人とOBスカウトとしての契約を締結し、岐阜エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う[2]。