おとなしく学究的だが、自身の信念に向かい猛烈に進む粘り強さと度胸を持つ人物であった[2]。
戦前に反日闘争の経歴もあったが[2]、日中戦争への協力が評価されたことにより、1940年に勲六等瑞宝章を受章した[3]。
第3代総選挙の選挙運動中、聴衆に拍手をしないように呼びかけた[7]。
第4代総選挙では民主党の候補として出馬したが、開票時にかなりの混乱があり、「ピアノ式不正開票」により自由党の李雨茁に敗れて落選した。しかし、同年7月に再検票により林が2,800票差でリードしたことがわかり、判決により李の当選無効が確定して林が逆転当選した[3][8][9]。