林聖子
日本の飲食店経営者
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来歴
人物
洋画家の林倭衛の娘として生まれた。倭衛は1921年(大正10年)にパリに旅立ち、文化人がたむろするモンパルナスの一角に住み、刺激的な日々を送っていた。1923年(大正12年)の夏にイヴォンヌと出会い、『婦人の肖像』を描く。その女性と恋に落ち、聖子にとっての異母弟・ジョルジュが1929年(昭和4年)に生まれるが、その子を置いて日本に帰国する[1]。
しばらくは一家三人で小石川武島町に住むが、聖子の母・秋田富子(1909年(明治42年) - 1948年(昭和23年)12月23日)[7]が肺浸潤に侵されて入院したため、1931年(昭和6年)、伊豆の静浦に移り住む[1]。その後、点々とした後、倭衛は朝鮮にスケッチ旅行に行こうと向かった博多で、芸者の高橋操と恋愛関係になり、聖子の異母妹・葉子と異母弟・木平(もくべえ)が生まれる[8]。
母・富子は、太宰治の三鷹時代に深く親交する。太宰の『水仙』や遺作となった『グッド・バイ』などのモデルとなった。若い時分から体を壊し、腎臓結核や脊椎カリエスにも罹患し[9]、耳が不自由となる。『水仙』の文中にある「雨の音も、風の音も、私にはなんにも聞えませぬ。サイレントの映画のようで、おそろしいくらい、淋しい夕暮です。」は、富子が太宰治に宛てた手紙の一部がそのまま使われている。また、『グッド・バイ』では富子をモデルとした「かつぎ屋」が登場している[10]。聖子も『メリイクリスマス』の中でモデルとなっている。
著書
- 『風紋五十年』パブリック・ブレイン、2012年、ISBN 978-4-434-16699-0。