柳生忠平
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幼い頃から水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」が愛読書[2]で「妖怪に会いたい、友達になりたい」と妖怪に対して強い憧れを抱き、妖怪に会いたい一心で妖怪を描き続けていたという[3]。
その絵をある先生に褒められたことが美大を目指すきっかけに[4]なる。宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)に進学し、油彩を専攻した。
1998年大学卒業後、株式会社叶匠寿庵のデザイナーとして和菓子の販促物、パッケージのデザインに携わる[5]。その後2002年に26歳で小豆島に戻った。親族の会社を継ぐための帰郷だったが、「自分はどうしても絵が描きたい。それも昔から身近に感じていた妖怪を。」という思いが募って2005年に妖怪の姿を専門に描く絵描きになることを宣言(「絵描鬼(えかき)」宣言)[2]、妖怪画家として活動をスタートした。
美大で絵画を学んでいたときはぐにゃぐにゃした管のようなものがくっついた抽象的表現で妖怪を描いていたが、抽象表現をやめて浮世絵や漫画、水墨画などの日本美術を手本に勉強しなおし、目に映るもの、耳に聞こえるものから連想した様々な妖怪の絵を描いている[2]。島で妖怪を描いていることから、妖怪をテーマにした街おこしをしようという動きにもつながり、有志で13年に「妖怪造形大賞」を創設。妖怪造形作品のコンテスト「妖怪造形大賞」の審査委員も勤める[2]。2018年2月から小豆島にある妖怪美術館館長に就任。[6]
日本国内のほか台湾でも個展を開催。上海で展示会を開いたり、フランスやイタリアでの個展やアートブックフェアになどのイベントに展示するなど国外でも活動し、「妖怪アート」の魅力を世界に伝えている。2019年にはフランスのノワイエ・シュル・スランにある「ポルテペイント国際アートセンター(La Porte Peinte Centre pour les Arts)」から招聘を受け、約2か月間滞在・作成、30点以上の作品が収蔵、常設展示されている。[7][1]全国から創作妖怪フィギュアを募り、これまで903点以上を集めた[8]。
イベント等で描いているライブペイントのほか、妖怪美術館や個展などで描いている人と対話しながらその内面を描画する「妖怪風似顔絵」が人気[9]。
「柳生忠平」という名前は雅号[10]であり、本名は非公開。
ビックリマンに夢中になった世代のアーティストやイラストレーターが、人気キャラのイラストを描き下ろす『ぼくらのビックリマン スーパーゼウス編』(2019年3月19日関東甲信越・静岡で先行発売)にて、「妖ゼウス」(あやかしゼウス)のシールイラストを手掛けている。[11]