柳生神影流
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同流派は、徳川将軍家御流儀である柳生新陰流(江戸柳生)の流れをくみ、木村郷右ヱ門尉義邦によって阿波国(現在の徳島県)に伝えられた剣術の流派だが、経緯は以下の通りである。
安土桃山時代末期に天下分け目の関ヶ原の戦いの直前、同地を統治した蜂須賀氏は徳川氏と姻戚関係を結んだことから東軍に与し、対照的に隣国の土佐国(現在の高知県)の長宗我部氏は豊臣氏である西軍に与するという四国の情勢があった。
この長宗我部氏が、土佐から近畿方面の本州に渡るためには阿波を通過する必要があり、その動向を探るため徳川氏家臣・柳生宗矩の命で側近・木村郷右ヱ門尉義邦が阿波へ派遣されたという。阿波では日和佐(現在の徳島県美波町)の阿部城を守ったが、これは日和佐が陸路・海路共に土佐からの動きを監視出来る重要な地であったためという。
その後、義邦が伝えた柳生神影流は、江戸時代には蜂須賀氏の徳島藩の川端家、近久家、明治期に久保家に引き継がれた。現在、徳島県のみならず四国に伝承された剣術流派のうち活動が確認できる唯一の剣術流派である。
柳生神影流は登録商標(商標登録番号 第5855862号)、阿州柳生神影流兵法剣術は登録商標(商標登録番号 第5838190号)となっていて久武館道場以外が、「柳生神影流」や「阿州柳生神影流兵法剣術」の名称を使用して教えることは禁じられている。
特徴

柳生神影流の特徴としては、相手の攻撃を流しその力を利用した瞬殺の動作を重視している。
これは流祖である柳生宗矩の「活人剣」「大なる兵法」「無刀」「剣禅一致」などの新しい兵法思想が影響している。歴史的背景として江戸太平の世では甲冑を着て無益な争いをすることが無くなり、剣術が護身や自らの身を律す姿に形を変えてきたと考えられる。
その奥底に流れる教えを、柳生神影流第十世である久保義八郎は、自らの著書である忠孝の大道(昭和9年農民社発行)、大義武士道訓:五十六箇条武道初心集(昭和19年鶴書房発行)にまとめた。 その教えや動きに共感した山内豊健(英信流居合術十八代目 子爵 教士)や大塚博紀(和道流空手道流祖)は、義八郎から柳生神影流を学び、免許を伝授されている。
特に現在、空手四大流派までなった和道流空手道は柳生神影流の「流す」動きを取り入れて完成されており、柳生神影流の教えや動きは剣術の枠を超え大きく広がっている。
伝承形及び伝承武道神事
系譜
関連書籍
- 忠孝の大道(昭和9年農民社発行、柳生神影流十世 久保義八郎著書)
- 大義武士道訓:五十六箇条武道初心集(昭和19年鶴書房発行、柳生神影流十世 久保義八郎著書)
関連項目
外部リンク
- 柳生神影流久武館道場
- NPO法人 徳島県古武道協会
- 和道流空手道連盟
- 英信流居合術山内派 - ウェイバックマシン(2018年3月15日アーカイブ分)
- 上田博章@昭和8年.COM - ウェイバックマシン(2016年2月25日アーカイブ分)