柳田貞一

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生年月日 (1895-12-30) 1895年12月30日
没年月日 (1947-07-16) 1947年7月16日(51歳没)
職業 俳優歌手
やなぎだ ていいち
柳田 貞一
生年月日 (1895-12-30) 1895年12月30日
没年月日 (1947-07-16) 1947年7月16日(51歳没)
出生地 日本の旗日本東京府東京市深川区(現在の東京都江東区
職業 俳優歌手
ジャンル 劇映画現代劇時代劇トーキー映画
活動期間 1918年 - 1947年
主な作品
エノケンの近藤勇
『忠臣蔵』
『エノケンの孫悟空』
人生とんぼ返り
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柳田 貞一(やなぎだ ていいち、1895年12月30日[1] - 1947年7月16日)は、日本の俳優歌手東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身。

大正時代浅草オペラで活躍。「エノケン」こと榎本健一の師匠として知られる。

小学校を卒業後、三越百貨店の少年音楽隊に入ったのち、「原信子歌劇団」に入団、第1回公演『セヴィラの理髪師』で初舞台。

1920年、「根岸大歌劇団」に参加し、浅草オペラ全盛期に歌手ボードビリアンとして活躍し、作曲も手がけた。1923年関東大震災後の浅草オペラ凋落期を経て1930年、弟子の榎本健一らと「ピエル・ブリヤント」、「プペ・ダンサント」を旗揚げ。その後は「エノケン一座」の重鎮として舞台と映画に数多く出演した。

戦後間もない1947年7月16日、胃癌のため急死。享年51。

エピソード

弟子であるエノケンよりもかなり酒乱らしく、古川ロッパの『昭和日記』によると1934年、ロッパが一杯酒を飲みたくなったため、酒場「甲子郎」へ行った。酒場には活動弁士山野一郎もいた。酒を飲もうとしたところに乱酔した柳田が入って来て、いきなりロッパに「何でえ古川緑波め、セヴィラのことを何故あんなこと書きやがった!?」と言ってきた。エノケンが演じた『セヴィラの理髪師』の批評をロッパが書いたと言うのだ。ロッパが「そんなもの書いた覚えはない」と言うも柳田は激怒して「この野郎、嘘つきめ!!︎何でえ、貴様ピアノ弾けるか!?」、「今夜は山野一郎がいるから我慢してるんだ!!︎」などと意味不明な暴言を吐いていたという。あまりにも無礼極まると思ったロッパは「こっちゃシラフで、そっちが飲んでちゃ喧嘩にならねえ、乃公あ帰る」と言って酒場を後にした。ロッパは帰宅後、旬報の批評を出して読んでみると、飯島正が『セヴィラの理髪師』を批評していることが書いてあるのを見つける。そのページの上欄にロッパが「エノケンを評す」と書いてあって、それを柳田が間違えて錯覚していたことが判明した。

レコード

出演映画

脚注

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