栂井靖弘
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1991年11月、大阪経済大学の在学中に、ブーメラン回帰理論研究の第一人者・西山豊と出会う。西山のゼミの面接で、西山が投げたブーメランの動きを見た栂井は「カルチャーショック」を受け、ブーメランを始めることになる[3][4]。
1994年に隔年開催のブーメラン世界大会に初出場する。2017年に競技ブーメランを引退するまで世界大会には10回出場した[3]。
1997年、日本ブーメラン協会[5]の傘下団体となる『関西ブーメランネットワーク』を発足[6]。
2006年の北海道旭川市で行われたブーメラン世界大会で、個人戦オージーラウンド種目[† 1]で世界1位となる[3]。当時34歳の栂井は仕事を辞め体を作り直して本大会に臨んだ。大会当日は荒天のために周囲が思うような成績が出せずにいる中、栂井は「不思議なくらい、最高の風をとらえて」2度の満点を出し世界1位となった[2]。
2008年3月、栂井が製作した紙ブーメラン『ドリームシャトル』が、スペースシャトル・エンデバーに搭乗した土井隆雄と共に宇宙へ行き、国際宇宙ステーション内の無重力状態でブーメランがどのように飛ぶのか、非公式に実験された[3][8]。雑誌編集者の紹介で土井と面談した栂井が、無重力空間でのブーメランの軌道についてプレゼンしたところ、土井が快諾し本件が実現した。栂井は無重力空間ではブーメランがらせん状に上昇すると考えていたが、実際の映像では飛行の軌道はほぼ地球上と変わらなかった[9][10]。
2014年4月にオーストラリアパースで開催されたブーメラン世界大会の団体戦に日本チームで参加、優勝する。栂井は個人戦においてもアキュラシー種目[† 2]で2位となっている[3][11]。ブーメラン世界大会の団体戦優勝はアジア初だった[12]。
2017年11月、体調の問題から競技ブーメランを引退[13]。2018年をもってブーメランの普及活動を終了した[14]。日本ブーメラン協会会員、関西地区代表[15]。
主な競技実績
個人戦
- 1998年「ジャパンカップ」(浦和)総合優勝[16]
- 1998年「ブーメラン世界大会 in セントルイス」個人戦・ファストキャッチ種目 世界5位[1]
- 2000年「ブーメラン世界大会 in メルボルン」個人戦・MTA(滞空時間)種目 世界3位[1]
- 2004年「ジャパンカップ」(熊本)総合優勝[17]
- 2005年「秋季競技会」(群馬)総合優勝[18]
- 2006年「ブーメラン世界大会 in 旭川」個人戦・オージーラウンド種目 世界1位[19]
- 2008年「ブーメラン世界大会 in シアトル」個人戦・MTA種目 世界2位。個人戦・ファストキャッチ種目 世界5位[20]
- 2014年「ブーメラン世界大会 in パース」個人戦・アキュラシー種目 世界2位[21]
団体戦
※栂井が日本代表として出場したブーメラン世界大会