栄町 (徳島市)
徳島市の町名
From Wikipedia, the free encyclopedia
地理
歴史
元は富田浦町の一部で昭和15年より現在の町名となる。はじめは一丁目から四丁目、昭和50年からは一丁目から六丁目がある。町名は富田町に続く歓楽街として繁栄することを意味すると思われる。江戸時代には定普請丁と呼ばれた地にあたる。
第二次世界大戦前、一丁目には歌舞伎・新派の上演と、上村源之丞の人形座となった稲荷座があった。昭和20年6月22日米軍の500hg爆弾攻撃と、同年7月3日の徳島大空襲では、著しい戦火を受けた。戦後、一丁目・二丁目は富田町歓楽街の外延的拡大を示し、バー・キャバレー・ホテルなどが建てられ、秋田町・鷹匠町・富田町と共に市の歓楽街と化した。
同42年に西富田公園設置。同50年に南新地の一部を編入。
施設
- 西富田公園
交通
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
