元は徳島市富田浦町の一部で1940年(昭和15年)より現在の町名となった。江戸時代には鷹匠町・鷹匠町割地小路・正閑坊小路と呼ばれていた地にあたる。1945年(昭和20年)6月22日の米軍500kg爆弾攻撃と、同年7月3日の徳島大空襲では、著しい戦災を受けた。
当町には明治・大正期の著述家・長尾覚、大正・昭和期の漢詩人・香川対山などが居住した。戦後、芸妓町として名高い富田町歓楽街の外延的拡大を示し、キャバレー・料亭・ホテルなどが建てられ、秋田町・栄町・富田町とともに市の歓楽街と化した。
1975年(昭和50年)に秋田町・南新地の各一部を編入。