栖吉城

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別名 鎧山
城郭構造 山城
築城主 長尾孝景
築城年 15世紀末 - 16世紀初頭
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栖吉城
新潟県
別名 鎧山
城郭構造 山城
築城主 長尾孝景
築城年 15世紀末 - 16世紀初頭
主な城主 長尾氏河田氏
指定文化財 県指定史跡[1]
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栖吉城(すよしじょう)は、新潟県長岡市栖吉町にあった日本の城

築城年ははっきりしないが、永正年間(1504年 - 1521年)に古志長尾氏長尾孝景が築城し、蔵王堂城から古志長尾氏の本拠を移したとされる。

御館の乱では景勝の中心的な上田長尾氏(通称、上田衆)との対抗上、上杉景虎に与したが、居多浜の合戦に於いて城主上杉景信(通称、古志十郎)が討死。城も落城して古志長尾氏の本流は滅亡した。

乱後は上杉謙信在命中に古志長尾氏を継承(長尾姓の名乗りは辞退)していた河田長親が古志長尾氏の遺臣たちを栖吉衆として再編。その長親が越中松倉城で急死すると最前線は無理との判断で嫡男の岩鶴丸が栖吉城に戻される形で城主となるが早世。親戚筋の河田親詮が河田氏を継ぐも軍役を縮小されて栖吉衆の一武将に格下げとなった為に名実共に古志長尾氏は滅亡となった。

上杉氏の会津転封により廃城となったが、河田氏の没落以後は景勝直参となった栖吉衆が番将として治めた。

また、上杉謙信の母である虎御前(青岩院)はこの城の城主であった長尾房景長尾顕吉との説も有り)の娘である。このため謙信はこの城で誕生したと伝説されている。

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