栗原百寿
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医者の長男として生まれ、家業を継ぐために水戸中学校から水戸高等学校へ進む[1]。1931年に同校理科乙類を卒業する[1]が、医学部へは進まず、東北帝国大学法文学部に進学する[2][3]。大学時代は歴史哲学を学び、宇野弘蔵、新明正道らの講義を聴講していた。卒業論文は「ジョン・スチュアート・ミルの思想史的研究」[1]。1937年に大学を卒業[4]、直後に人民戦線事件で検挙される。
1939年、帝国農会へ就職する[1]が、1942年12月に再び治安維持法違反容疑で逮捕される[1]。戦後は農林省統計調査局調査室嘱託などを経て、1953年に拓殖大学政経学部教授となる[1]。
マルクス経済学の視点から、日本の農業問題の分析を進め、「栗原理論」と称される独自の理論を構築した。