栗本東明
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出羽国田川郡大山(現・山形県鶴岡市大山)に庄内藩医・栗本良意の子として生まれる(長男は医学者の栗本節安)。幼名は亀五郎。慶応2年(1866年)江戸で医師をしていた兄の節安を頼りに江戸に出府し、蘭方医・伊東玄朴に医術と英語を学ぶ。明治維新と共にいったん帰郷し、明治3年(1870年)11月に慶應義塾に入り、地理書などを学び、明治5年(1872年)に慶應義塾に再入学した。次いで本郷の壬申義塾に入り、初めてドイツ語を学ぶ。東京大学で医学を修め、明治17年(1884年)に卒業後は岡山医学校、熊本旧制五高の教授を歴任し、明治18年(1885年)、長崎病院の眼科医長・内科医長に赴任。
1894年から1895年にかけて長崎県及び九州全域に狂犬病の流行が起こると、研究を開始し、日本で最初のパストゥール法による曝露後免疫を施し、予防注射液を発見した。またこれによって1897年から全国の狂犬病発生件数が公式に記録されるようになり、伝染病研究所においても曝露後免疫が開始された。明治30年(1897年)9月2日に、医学部主事吉田健康が没したため、11日、栗本東明が主事心得として事務取扱を委任され、同日、教授・大谷周庵が後任主事を命ぜられた。明治31年(1898年)に文部省の留学生に選出され、ドイツ・フランスに留学し、2年後の帰国と共に、医学博士の学位が授与される。その後、本郷根津で真泉病院、大森病院の院長となり、医術開業試験委員となる。70歳で没。墓所は青山霊園(2イ12)。