根道神社
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| 根道神社 | |
|---|---|
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| 所在地 | 岐阜県関市板取448番地 |
| 位置 | 北緯35度39分7秒 東経136度49分16秒 / 北緯35.65194度 東経136.82111度座標: 北緯35度39分7秒 東経136度49分16秒 / 北緯35.65194度 東経136.82111度 |
| 主祭神 |
根道大神 伊弉冉命 大山祇神 金山比古神 |
| 社格等 | 村社 |
| 創建 | 不明 |
| 例祭 |
4月5日 10月第1日曜日 |
| 主な神事 |
年越の祓(12月31日) 夏越の祓(6月30日) |
| 地図 | |
根道神社(ねみちじんじゃ)は、岐阜県関市板取にある神社。旧社格は村社。神社名鑑には記載が無い[1]。近隣にあるモネの池が有名である。
歴史
9世紀中頃、白山信仰がさかんになり加賀、越前、美濃の三方に登山口がひらかれる[4]。このため、この地域には白山神社が多数存在した。
1689年 (元禄2年)、『元禄二年正月六日助右衛門奉納の鰐口あり』の記載が、尾張藩の濃陽志略補訂の御用につき、忽庄屋清左衛門は所軒絵図並びに寺社堂銘之絵図提出の中にある[5]。
1756年 (宝暦6年)、同年に執筆された『濃陽志略』には「神明祠、鳴神祠、山神祠、大明神祠、月日神祠、神明祠、金剛童子祠、神明祠、八幡祠以上在白谷」の記載が有る[6]。 1799年8月 (寛政11年) 、尾張藩の濃陽志略補訂の御用につき、忽庄屋清左衛門は所軒絵図並びに寺社堂銘之絵図を作成して提出[7]。白谷地区については、以下の記述がある。
- 大明神社 祠八尺四面 屋敷 東西十五間 南北十八間
- 月日神社 祠五尺四面 屋敷 東西十七間 南北二十八間
- 拝殿共有 二間・三間 (下根道上)
- 鳥居あり
- 元禄二年正月六日助右衛門奉納の鰐口あり
- 山神社 祠二尺四面 屋敷 東西六間 南北五間 (岩村寺南)
- 神明社 祠三尺四面 屋敷 東西二十二間 南北十五間 (中道下)
- 鳴神社 祠五尺四面 屋敷 東西十五間 南北六間 (荒須)
- 祭礼 二月十七日
- 八幡社 祠三尺四面 屋敷 草地村扣 (荒須)
- 金剛童子社 祠五間四面 屋敷 東西四間 南北七間 (下根)
- 祭礼 二月十七日
- 神明社 祠五尺四面 屋敷 東西二十八間 南北十五間 (島下)
- 鳥居あり
- 神明社 祠五尺四面 屋敷 東西十五間 南北十八間 (ガキガノド)
- 祭礼 二月十日
- 山神社 祠なし (タラガ谷)
1822年 (文政5年)、同年に完成した『濃州巡行記』には「村中に八幡社、山神社、其他三社」の記載が有る[8]。
1876年(明治9年)、 根道社に改称 (旧称:明神)[2]。江戸時代大明神社、月日神社の祠は隣接して拝殿は共有であり、旧称「明神」とはこの両社の総称であると推定される[3]。 1883年(明治16年)の社寺取り調べ帳時の名称は以下の通りである[5]
- 下根道神社 (大明神社 下根道上)
- 月日神社 (月日神社 下根道上)
- 山神社 (山神社 岩村寺南)
- 白山神社 (山神社 中道下)
- 雷神社 (鳴神社 荒須)
- 八幡社 (八幡社 土場)
- 金山彦神社 (金剛童子社 下根)
- 嶋下神社 (神明社 島下)
- 白山神社 (神明社 ガキガノド)
1906年(明治39年) 合祀の勅令により、神社の多くあった「白谷区」「老洞区」「門出区」「岩本区」「中切区」「田口区」では諸社を合祀[3]することになった。1909年(明治42年)1月、根道神社 (祭神:不詳、伊弉冉命、大雷神、大山祇神、金山比古神) となる[3]。