桂信雄
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1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる[2]。札幌市立山鼻小学校、北海道立札幌第二高等学校(現:北海道札幌西高等学校)卒業。北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職[2]。札幌市役所では、施設局市街地開発部長、総務局財政部長、北区長、企画調整局長、教育長を歴任[2]。1983年6月、札幌市助役に着任[2]。
1991年、自民党・社会党・公明党・民社党の推薦を得て、札幌市長選挙に立候補。共産党推薦候補などに大差をつけて当選。初の札幌生まれの市長となる[2]。
1995年の札幌市長選挙では、自民党・社会党・公明党・新進党・新党さきがけ・自由連合の推薦を得て立候補。共産党推薦候補を大差で破って再選[3]。
1999年札幌市長選挙には、自民党・民主党・公明党・社民党・自由党の推薦を得て立候補。前参議院議員の中尾則幸らを破り、3選[4]。
市長在任中は2001年の札幌ドーム開業などに尽力した[1]。
2003年札幌市長選挙には立候補せず退任、後継指名も行わなかった[5]。
株式会社札幌ドーム社長、シンクタンクの株式会社北海道二十一世紀総合研究所(通称:21総研、旧社名:たくぎん総合研究所)社長、札幌第一興産株式会社顧問、社会福祉法人北海道いのちの電話後援会会長を務めた。
2020年11月16日、直腸がんのため90歳で死去[1]。
略歴
- 1953年 札幌市役所採用
- 1953年 札幌市総務部庶務課
- 1969年 札幌市施設局市街地開発部長[2]
- 1971年 札幌市総務局財政部長[2]
- 1972年 札幌市北区長[2]
- 1975年 札幌市企画調整局長[2]
- 1979年 札幌市教育長[2]
- 1983年 札幌市助役[2]
- 1991年 札幌市長に初当選。板垣武四に次ぎ8代目
- 1999年 鳩山由紀夫、中村敦夫、田中秀征の支援を受けた(左記三名と同じさきがけ所属国会議員だった)中尾則幸らを破り、3選
- 2001年 株式会社札幌ドーム社長
- 2003年 4期目の市長選に立候補せず、市長を退く
- 2020年11月16日13時40分、直腸がんのため、札幌市の病院で死去[1][6]。90歳没。
主な政策・業績
- 1996年 福祉のまち推進センター設置
- 新行政改革大綱策定
- 札幌市個人情報保護条例施行
- 札幌市子育て支援計画策定
- 1997年 札幌市青少年育成計画策定
- 札幌市情報化構想
- 1998年 札幌市行財政改革推進計画策定
- 札幌市環境基本計画策定
- 2000年 緑の基本計画策定
- 札幌市オンブズマン条例制定
- 2003年 札幌ドームに日本ハムファイターズを誘致