桃源瑞仙
From Wikipedia, the free encyclopedia
永享2年(1430年)6月17日、近江国市村(現滋賀県愛荘町[4])の下級武士の子として生まれる[3]。永源寺派の慈雲庵で出家し僧童となったのち、嘉吉・文安年間に相国寺勝定院で剃髪[3]。易学を竺雲等連と瑞渓周鳳に、『史記』を竺雲等連・綿谷周瓞・牧中梵祐に、『漢書』を竺雲等連に、『礼記』を一条兼良と清原業忠に学び、雲章一慶の『勅修百丈清規』講義も受ける[3]。
応仁元年(1467年)に応仁の乱が起こると、横川景三と慈雲庵に避難する[3]。のち横川・景徐周麟と永源寺に移住し小倉実澄の厚遇を受け、易学や『史記』の講義・著述を始める[3]。
応仁の乱後、文明13年(1481年)に等持寺の住持となる[3]。文明18年(1486年)相国寺の住持となり、夢窓疎石をまつる開山塔崇寿院の塔主を兼帯する[3]。一ヶ月後に相国寺住持を退き崇寿院に帰るが、長享2年(1488年)足利義政の逆修十三回忌を修した後、延徳元年(1489年)相国寺に四ヶ月再住[3]。同年10月28日、60歳で示寂[3]。