桑山栄晴の子として生まれる。寛文12年(1672年)5月26日に小姓組番士となり、延宝5年(1677年)10月29日より進物番を務める。延宝7年(1679年)7月9日、父の遺跡を継ぐ。天和元年(1681年)、本多忠平が宇都宮藩に移封された際、佐久間信就と共に現地に赴いて城の引き渡し役を務めた。元禄元年(1688年)、松平信輝預かりとなっていた酒井萬千代(酒井忠能の養子)が死亡した後の5月29日、川越藩に赴いて検使を務めた。元禄2年(1689年)2月27日に桐間番に転じ、3月14日に小姓となるが、10月21日に役目を解かれて小普請となり、元禄3年(1690年)2月26日に再び小姓組に入った。元禄10年(1697年)7月26日、常陸国筑波郡・茨城郡・下野国那須郡・芳賀郡の4郡で1000石の所領を賜る。同年9月18日より火事場目付となり、元禄13年(1700年)1月23日の同職廃止まで務めた。正徳4年(1714年)8月10日、65歳で死去。