『三国遺事』は「古記」(現存せず)を引用する形で、桓因とその子・桓雄について次のように書いている。
《古記》云:昔,有桓因
(謂帝釋也)庶子桓雄,數意天下,貪求人世。父知子意,下視三危太伯可以
弘益人間,乃授
天符印三箇,遣往理之。雄率徒三千,降於太伯山頂
(即太伯今妙香山)神壇樹下,謂之
神市,是謂桓雄天王也。將風伯雨師雲師,而主穀主命主病主刑主善惡。凡主人間三百六十餘事,在世理化。
— 三国遺事、巻第一、紀異第一
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桓因に対しては注釈で、帝釋[注 1]ともいう、と書かれている。
桓因の庶子である桓雄(かんゆう、ファヌン)は下界に興味を持ったので、桓因は桓雄に下界を治めるよう命じ天符印を与え、桓雄は太伯山(三國遺事の注釈では妙香山のことであると明記されているが、白頭山とする説も散見される)の神檀樹に部下3,000人と共に天下って「神市」という国を築いた。桓雄はある熊の願いをかなえて女にし、この熊女(ゆうじょ、ウンニョ)との間に子をもうけた。これが檀君王倹(檀君)であり、朝鮮最初の国家である檀君朝鮮を築いた人物であるとされる[1]。