桜井督三 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1898-11-14) 1898年11月14日 日本・新潟県広神村死没 (1978-05-15) 1978年5月15日(79歳没)死因 心不全出身校 慶應義塾理財科さくらい とくぞう 桜井 督三生誕 (1898-11-14) 1898年11月14日 日本・新潟県広神村死没 (1978-05-15) 1978年5月15日(79歳没)死因 心不全出身校 慶應義塾理財科職業 実業家栄誉 藍綬褒章(1962年)勲三等旭日中綬章(1969年)[1]テンプレートを表示 桜井 督三(さくらい とくぞう、別表記 : 櫻井 督三、1898年 〈明治31年〉11月14日 - 1978年〈昭和53年〉5月15日)は、日本の経営者。北越製紙、新潟総合テレビ社長などを務めた。位階は従四位。 新潟県広神村(現・魚沼市)の庄屋に生まれる[1][2]。 長岡中学(現・新潟県立長岡高等学校)を経て慶應義塾理財科を卒業。1922年に九州水力電気に入社[1]。1942年に九州配電理事に就任。理事になるまで、経理、営業、企画、技術を担当。九州の主なところでは大牟田、大分、福岡に移り住んだ[2]。 1944年に日本発送電理事に転じ、1949年7月から1950年9月までに副総裁を歴任。1954年9月から1956年9月までに電源開発理事を務めた[1]。 1957年6月に北越製紙会長であった田村文吉からの要請を受けて[2]、同社副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格[1]。1968年6月に会長、1973年12月には相談役に退いた[1]。この間、1968年12月に県内第二民放局として開局した新潟総合テレビ社長に就任している[1][2]。 1978年5月15日、心不全のために死去[3]。79歳没。死没日付をもって従四位に叙された[4]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 人事興信所 1975, さ201頁. 1 2 3 4 新潟の財界 1968, p. 157. ↑ 『読売新聞』夕刊 1978年5月16日 p6 ↑ 昭和53年 1978年6月6日付 官報 本紙 第15416号 9頁 参考文献 『新潟の財界』新潟日報事業社〈新潟シリーズ 第4集〉、1968年。 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 先代田村文吉 北越製紙社長第7代:1958年 - 1968年 次代内山誠一 Related Articles