桜川ぴん助・美代鶴 From Wikipedia, the free encyclopedia 桜川 ぴん助・美代鶴(さくらがわ ぴんすけ・みよつる)は戦前から戦後にかけて活躍した漫才(夫婦漫才)コンビ。1937年コンビ結成。1980年にぴん助病気に伴いコンビ解消。 主に東京中心に活躍。戦時中は新興キネマ演芸部に所属し大阪にも出向いていた。漫才コンビとしては、落語芸術協会所属であった。 大阪の演芸番組和朗亭で、かっぽれを社中で踊っている映像が残っている。 実の娘が芸と名跡を受け継ぎ2代目桜川ぴん助の名で活動している。 初代 桜川 ぴん助(本名:長田兼太郎、1897年1月9日[1] - 1987年7月15日) 横浜の材木商の生まれ[注釈 1]。1922年にかっぽれの名手・豊年斎梅坊主(後の豊年斎太平坊)の弟子となる。後に名古屋で幇間に転じ、1937年より妻の美代鶴と組み漫才師となる。 漫才師としての活動の傍ら、幇間芸・かっぽれの継承者として自宅を稽古場にし後世に芸を伝えた。 1980年に倒れ半身不随になる。 桜川 美代鶴(本名:長田高子、1913年6月5日[3] - 没年不詳) ぴん助の妻。芸者の出身で三味線が堪能であった。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 永六輔によると、東京に支店を3店舗持つ大店の若旦那だったという[2]。 出典 ↑ 『日本著者名・人名典拠録』 1989年 日外アソシエーツ 990頁 ↑ 永六輔『芸人その世界』岩波書店〈岩波現代文庫, 文芸90〉、2005年(原著1969年)、62頁。ISBN 4006020902。 ↑ 『全国各種団体名鑑 1993年版 中巻』 658頁 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。表示編集 Related Articles