梁一東 From Wikipedia, the free encyclopedia ハングル: 양일동漢字: 梁 一東発音: ヤン・イルドン日本語読み: りょう いちとう梁 一東各種表記ハングル: 양일동漢字: 梁 一東発音: ヤン・イルドン日本語読み: りょう いちとうテンプレートを表示 梁 一東(ヤン・イルドン、朝鮮語: 양일동、1912年12月30日 - 1980年4月1日)は、朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。第3・4・5・8・10代韓国国会議員[1]。本貫は南原梁氏(朝鮮語版)[2]。号は玄谷(ヒョンゴク、현곡)[1]。 日本統治時代の全羅北道沃溝郡に生まれた。1930年に光州学生事件に関与して中東中学校を退校され、北京民鐸高級学校専門課程を卒業した[3]。その後は上海臨時政府に参加し、非常国民会議代議員を務めたため、治安維持法違反で3年6か月の禁固刑を受け[1]、市ヶ谷刑務所に収監された。服役2年8ヶ月後に腎病により仮釈放され、朝鮮に帰り光復まで郷里で農村運動と農民教育に従事した[3]。 解放後は朝鮮建国準備委員会に加わり、第一共和国の時は野党側の無所属国会議員として、反独裁運動の民主党と行動を共にした。5・16軍事クーデター後は、旧新民党の院内総務・政務委員を務めた。国会議員5期を務めたが、政治活動浄化法により政治活動を2回停止された。1967年に政治活動浄化法・反共法などの違反で投獄されたが病気により保釈された。1971年に新民党主流派の柳珍山と決別した。 1973年1月27日、民主統一党を結成し[4]、新民党の反体制運動に同調する第2野党の党首として活動した。 同年7月16日、日本を訪問[5]。8月8日、投宿していたホテルグランドパレスの22階の部屋で金大中と懇談。金大中は部屋を出たところでKCIAの要員らに拉致された(金大中事件)。このとき参考人として取り調べを受けた[3]。 1980年4月1日、自宅にて心臓麻痺により死去した。享年68[6]。 脚注 1 2 3 “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年6月16日閲覧。 ↑ “정복규의 한국 성씨를 찾아서36- 남원양씨(南原梁氏)” (朝鮮語). 신아일보 (2012年2月27日). 2022年6月16日閲覧。 1 2 3 “양일동(梁一東)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。 ↑ 『金大中事件全貌』 1978, pp. 237–246. ↑ 『金大中事件全貌』 1978, pp. 202–203. ↑ “심장 마비로 오늘 새벽 梁一東(양일동) 統一黨(통일당)총재 別世(별세)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1980年4月1日). 2023年10月23日閲覧。 参考文献 高杉治男 編『金大中事件全貌』毎日新聞社、1978年12月25日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11926861。 典拠管理データベース 全般 ISNI VIAF 国立図書館 韓国 Related Articles