森丑之助
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京都・五条室町[1]の商家に生まれる。長崎市の長崎商業学校で中国語を学んだ後、1895年(明治28年)9月に台湾駐屯の日本軍の通訳として台湾に渡る[1]。その後台湾総督府の嘱託として台湾先住民の研究にあたった。1896年(明治29年)に台東で、1898年(明治31年)に恒春で鳥居龍蔵と出会い、1900年(明治33年)に鳥居の台湾調査に助手として同行するようになり、生蕃研究に携わるようになる[1]。
日本からの来訪者の案内も務めた[2]。
先住民の生活の調査のために森は台湾全土を移動して先住民の集落を訪れ、人類学・民俗学的に貴重な資料を数多く収集した。「台湾蕃通」、「台湾蕃界調査の第一人者」と謳われた。1915年5月に先住民が起こした大分事件では先住民との交渉にあたった。1926年(大正15年)7月3日、日本に帰国する途中に乗船していた笠戸丸から姿を消し飛び降り自殺したとされるが遺言の類は残されておらず確証はない[1][3]。享年50歳であった。