森安五郎
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戦闘の経緯
第二次上海事変の戦いは苛烈を極め、第三師団歩兵第34連隊(静岡連隊)は戦時編成3,800人、戦死者1,248人、戦傷者2,146人。連隊死傷率は90%を超えた。要塞・ 陣地・水濠を張りめぐらした中国国民革命軍第36師(師長:宋希濂陸軍中将)の強力な抵抗に苦戦。10月、軍部は緊急に1,200名の補充員を配置。1937年10月13日、森安五郎は補充員小隊長として、歩兵第34連隊第1大隊第3中隊に入隊。[5]。16日から25日にかけて、大場鎮近くの攻略作戦に参加。小隊を率い中国軍の16人目の兵士を捕虜にする。28日、歩兵第34連隊が渡河作戦を開始、森小隊は最初に川を渡った部隊に属する。11月3日、小隊は中国軍の2つのトーチカを占領。5日、蘇州河南岸の薛家墅を占領。7日、命を受け林肯路を落とすが、部隊の進軍は趣家宅に阻まれる。午後2時40分、森小隊長と小隊が餌として中国軍の火力を集めて北に移動。趣家宅トーチカの下に移動した時、森は中国軍の機関銃が日本軍に向けて掃射されているのを見た。傷を負った森は、自らの身体で特火点の射撃孔を塞ぎ戦死。その壮烈な姿に鼓舞された部隊は直ちに趣家宅を攻め、敵の大隊を壊滅。その後、歩兵第34連隊は上海蘇州河南岸を占領。9日、蔣介石、上海から撤退命令。1938年10月7日、第四回支那事変論功行賞、前例を破り功四級金鵄勲章を追贈。