森崎和江
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日本統治時代の朝鮮の大邱で教師の子として生まれ、17歳で単身日本に渡る[3][4]。1947年、福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)保健科卒[5]。
太平洋戦争下の学生動員中、結核に感染し、戦後の3年間、療養所生活を送る[1]。退所後、1950年、丸山豊が主宰する詩誌『母音』同人となる。1956年ごろから、NHK福岡放送局でラジオのエッセイや、ラジオドラマの脚本を担当。
1958年、『母音』で知り合った谷川雁ともに筑豊の炭坑町に転居[6]。同年、谷川雁、上野英信らと文芸誌『サークル村』を創刊(1960年まで)。1959年-1961年、女性交流誌『無名通信』を刊行。大正鉱業の閉山(1964年12月)まで谷川と同居を続けたが、谷川が指導した同争議団である大正行動隊員による別の行動隊員家族への強姦殺人事件の被害者家族である隊員を隊の団結を優先した谷川が非難して自殺に追い込んだ非情な対応をめぐり[7]二人は対立し、谷川は東京へ去る[8]。
以後福岡県を根拠地として炭鉱、女性史、海外売春婦などについて多くのノンフィクション、また詩集を刊行する。
1993年、佐賀県立名護屋城博物館協議会委員[5]。1994年、丸山豊記念現代詩賞選考委員[5]。1997年3月~2002年5月宗像市総合公園管理公社理事長[1]。2002年4月より福岡教育大学運営諮問会議委員[1](なお「読売人物データベース」では「2000年から2004年」となっている)。2004年、生涯学習講座「むなかた市民大学『ゆめおり』」(宗像市、森崎和江学長)開講[5]。
木村栄文のテレビドキュメンタリー作品『まっくら』『祭ばやしが聞こえる』にて構成や案内役として携わっている。
2022年6月15日、呼吸不全のため死去[9]。95歳没。