森川ジョージ
日本の漫画家
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略歴
生い立ち
東京都足立区出身[2]。越谷市立北陽中学校、埼玉県立松伏高等学校卒業。
子供時代には、母親が家計を助けるためセル画彩色の内職を始めたが、トレス台の作業で目を悪くしたことから、森川が少年徳川家康(1975年放送)で使われる彩色を手伝ったことがあるという[3]。
小学校時代に、ちばてつやの『ハリスの旋風』を読んで、漫画家を志す。ボクシングは大好きであったが、尊敬するちばてつやがボクシング漫画を描いていたので、その分野は避けていたという。
漫画家デビュー
1983年、高校在学時に『シルエットナイト』で漫画家デビューを果たす。
デビュー後に連載した、中学サッカー漫画の『一矢NOW』と、F3000レース漫画の『シグナルブルー』の2作品が、相次いで打ち切りになる。いずれも編集サイドの意向を汲んで、いわば「妥協の形」でスタートさせた作品だっただけに、ショックも大きかったという。
「はじめの一歩」を長期連載
すでに妻子持ちで生活も苦しい状況となり、「これが駄目なら漫画家をやめよう」と発起し、本当に自分の好きな分野の作品としてボクシングを題材とした『はじめの一歩』を執筆する。
1989年から『週刊少年マガジン』にて『はじめの一歩』を連載し、大ヒットを記録してアニメ化もされた。以降、漫画家歴の大半を同作の執筆に費やしている。
東日本大震災の支援
2012年には短期集中連載として、22年ぶりの新作『会いにいくよ』(原作・のぶみ)の第1話を『週刊少年マガジン』2012年31号に発表したが、全5話と当初より告知されていたにもかかわらず『はじめの一歩』との同時連載に支障が生じたため休載が続き、完結したのは2014年7号だった[4]。
本人によれば、2011年の東日本大震災の被災地支援の一環として各地でサイン会を開き、その際に現地で被害の状況を目の当たりにしていたため、同作の執筆にあたっては「被災地を見ていない人が描いちゃダメ」と考えアシスタントを使わず全て一人で執筆したことが影響したという。
なお、2014年に単行本が出版された際には、初版の印税を全て寄付した[5]。
人物
本人によれば、アシスタントは『はじめの一歩』の連載開始時に編集部から紹介された3名をずっと雇い続けている。一時は曽田正人も採用したが「1日でクビにした」という[6]。
ボクシングジム「JB SPORTSボクシングジム」のオーナーでもあり、現在は会長も兼任している。大の釣り好きで、週に一日は趣味に費やす日を確保するという。
同じマガジン連載の『もう、しませんから。』およびその続編『ちょっと盛りました。』では作者の西本英雄をいじめる傍若無人な人物として描かれている。森川は同作品4巻のカバーイラストも描いている。
近年から[いつ?]『マガジン』誌上での巻末コメントは川柳となっている。
埼玉県立戸田翔陽高等学校の校章をデザインした[7]。
2024年、麻雀オールスター Japanext CUP 優勝。
作品リスト
- インサイド・グラフィティー
- シルエットナイト
- 一矢NOW(全2巻)
- シグナルブルー(全2巻)
- はじめの一歩(週刊少年マガジン、連載中、既刊145巻)
- 会いにいくよ(原作・のぶみ『上を向いて歩こう!』、全1巻)
その他
- ダイヤのA(第2期第6、7話エンドカード、2015年)
- アルスラーン戦記 風塵乱舞(第5話エンドカード、2016年)
- UQ HOLDER!(第11話エンドカード、2017年)
- リングマガジン(2019年9月号表紙イラスト)[8]
- メイドインアビス 烈日の黄金郷(第2話エンドカード、2022年)
その他の活動
関連番組
- TVチャンピオン「少年マンガ王選手権」(1999年7月1日、テレビ東京) - 仕事場を訪れた選手たちに出題。
- 出没!アド街ック天国「綾瀬」(2003年5月10日、テレビ東京) - 「JB SPORTSボクシングジム」(当時は「JB SPORTS CLUB」)を紹介。