森川俊令
日本の江戸時代中期の大名
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生涯
享保3年(1718年)1月18日、600石を領した分家の旗本・森川重良の次男(庶子)として江戸で生まれる。享保19年(1734年)に本家の第5代藩主・森川俊常が死去したため、末期養子として家督を継ぎ、12月18日に従五位下・兵部少輔に叙位・任官する。
寛保3年(1743年)4月28日に大番頭に任じられ、延享2年(1745年)閏12月15日に大坂定番に任じられ、寛延2年(1749年)8月15日に奏者番に任じられた。そのほかにも日光祭祀奉行などを務めている。宝暦4年(1754年)5月15日、名を俊方から俊令と改名する。宝暦10年(1760年)に内膳正に遷任する。
宝暦14年(1764年)1月27日、全ての職を辞任し、4月6日に家督を長男の俊孝に譲って隠居する。後に出家して善応と号し、渋谷広尾の下屋敷に移った。天明7年(1787年)5月16日に死去した。享年70。