高知県出身。東京帝国大学法学部卒。1936年弁護士開業。海野普吉を助け、1947年自由人権協会の事務局長となり、のち代表理事。1967年ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁く国際法廷(ラッセル法廷)の構成員となる。
1972年7月8日には、福島要一(日本学術会議会員)、平野義太郎(日本平和委員会会長)らとともに「インドシナにおけるニクソンの戦争犯罪、日本政府・財界の共犯を告発する東京集会」を神田の学士会館で開催。当時、強化されつつあったベトナム北爆に抗議した[1]。
家永教科書裁判、横田基地騒音訴訟、横浜事件再審訴訟の弁護団長を務めた[2]。