岐阜県岐阜市出身[1]。岐阜県立加納高等学校を経て拓殖大学を卒業後、企画会社社長となる[1]。
幼少時に祖父と共にテレビで「クイズタイムショック」を見たことでクイズにのめり込み始める[2]。当時はクイズ好きというわけではなかったが、問題に答えている様子を見た祖父から出場を勧められ、軽い気持ちで応募したという[2]。以後クイズ番組出場が病みつきとなり[2]、数年にわたり出場しては優勝を果たすこととなる[2]。
1986年に出場したクイズ番組「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」では[3]、南米で高熱に浮かされながらも乗り越え、優勝を果たす。
優勝時にはクイズ番組からの引退を宣言した[4]ものの、ファンからの声援が多く寄せられたため撤回するに至る[2]。