森田豊香
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略歴
父である三代目森田助左衛門春富(通称を田子翁、1744年 - 1812年)の後を継いで四代目となった豊香は学問を好み、信心に厚く、慈善活動も多かった人物であり、高野山に橋を寄進し、日光には多大な奉納金を献上、文化13年(1816年)に足尾銅山が不況におちいった際は、戸谷半兵衛、森田市郎左衛門(『関八州田舎分限角力番付』では、西方二段目「田畑」で名が表記)などと共に一千両を上納し、困窮者の救援にあたり、名字帯刀を許された(帯刀に関しては一代限り)。また、日照りで苦しむ農民の年貢を助ける事も行った。
上州松井田の歌人儘田柳軒(ままだ りゅうけん)に和歌を学び、平安の和歌四天王である伴蒿蹊や歌僧澄月、小沢芦庵などにも学び、さらに東国中央(江戸)の名家である村田春海や加藤千蔭にも師事し、和歌の大家となった。『万葉集』などの古典文学を研究し、森田助左衛門家には多くの文人が来訪した。歌集に『常磐集』、著書に『赤城温泉日記』、『荒川日記』(歌含む)。伴蒿蹊の勧めで「豊香」と号したとも。墓所は安養院。