尾張国前飛保村(現・愛知県江南市)出身[2]。1889年(明治22年)に海軍兵学校を卒業し、翌年に海軍少尉に任官した。軍令部参謀、大本営参謀、陸軍大学校教官、海軍大学校教官、高雄艦長、沖島艦長、三笠艦長、海軍水雷学校校長、海軍技術本部第二部長を歴任した。1918年(大正7年)、海軍中将に昇進し、翌年に予備役に編入された。
その後、愛知時計電機株式会社顧問を務めた。
1944年には地元の前飛保にすずり箱を寄贈。それは現在でも同市内の白山社の蔵に保管されている[2]。
終戦後の1947年11月、公職追放の仮指定を受けた[5]。