森迫親正 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 天文4年(1535年)死没 天文20年(1551年)8月別名 三十郎 凡例森迫親正時代 戦国時代生誕 天文4年(1535年)死没 天文20年(1551年)8月別名 三十郎主君 大友義鎮氏族 森迫氏父母 父:森迫鎮富兄弟 親正、正則テンプレートを表示 森迫 親正(もりさこ ちかまさ)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。 天文4年(1535年)、大友義鎮の家臣・森迫鎮富の長男として誕生。 天文20年(1551年)8月[1]、大友義鎮が肥後国の合志常陸介を攻めた際従軍し、首を獲るがその後討ち死にした。享年17。この時兜の中に短冊を忍ばせていたので、常陸介がこれを見ると「命より 名こそ惜しけれ 武士(もののふ)の 道にかふべき 道しなければ」とあり、感じ入った常陸介はその首と屍を大友軍に送り返した。 のちに愛国百人一首に歌が収められた。十七歳での採録は最年少である。 脚注 ↑ 『大日本野史』巻百二十五 Related Articles