楊亜峰
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沭陽県新河出身。1921年、沭陽師範講習所を卒業し、県立第一小学の会計をつとめていたが、1925年8月に父の従兄弟である楊益凡の義兄弟で張宗昌の部下の倪占魁上校の推薦を受け、済南の山東航空教練所(のち航空学校と改称、校長:趙天豪)に入学、2年後の1927年11月10日に卒業[3]。
北伐で張宗昌の直魯聯軍が壊滅すると、王惟一、金恩心が中心となり10機が東北軍本隊に脱出する。楊も東北空軍に加わり、航空第四隊分隊長となる[4]。
満州事変前には中央空軍に入っており、1929年5月、水上飛機隊(隊長:耿煜曾)飛行員[5]。1930年10月20日、陸軍中校[6]。24日、航空第6隊(隊長:周宝衡)分隊長[7]。1931年8月11日、航空第4隊分隊長に転任[8]。航空第5隊隊長を経て南城県の偵査第一隊上尉隊長となり、1934年9月、広昌県にて第5次囲剿作戦に参加[9]。のち中央航空学校高級班を経て教官。1935年9月7日、空軍少校[10]。西安事件後、顧祝同の斡旋で現場に戻り、西安の第7大隊中隊長に任ぜられる[11]。1937年6月末時点では副大隊長となっている[12]。