四川省南部県出身。1926年3月、黄埔軍官学校第5期歩兵科入学。歩兵大隊で学び、1927年8月卒業。
第1軍(中国語版)教導師排長、国民政府警衛師(長:馮軼斐)第2営第6連排長[1]、第1旅連長、警衛軍第1師連長を経て1931年、陸軍第71軍第87師第259旅独立団営長。同年、再編された第5軍(中国語版)(軍長:張治中)隷下に転じ、第一次上海事変に参加。同旅独立団団附。
徳械師としてドイツ式の訓練を受ける。1935年6月21日、陸軍步兵少校[2]。
1937年5月より空軍の地上戦部隊たる航空委員会航空特務団(中国語版)(団長:李良栄)の第2営営長。日中戦争(抗日戦争)勃発後、航空委員会特務旅(長:萬用霖)への拡張に伴い、司令部参謀長兼第1団団長。
1940年1月、任軍政部第13補充訓練処第1団団長、1941年5月、任陸軍第100軍第80師歩兵第238団団長、のち師司令部参謀長等職。
終戦後、任国防部部附、1947年任軍政部兵役視察専員等職。1947年2月、陸軍大学乙級将官班で学び、1948年4月卒業。同年、任陸軍第41軍副軍長、1949年1月、再編された陸軍第47軍軍長となるも、汚職の疑いで10月に更迭される。11月、重慶起義に参加。
中華人民共和国成立後、重慶市政協秘書処副処長、重慶市政協委員(第4~第8届)などを務めた。のち香港にわたる。